鹿児島地方裁判所 昭和47年(ヨ)101号 判決 1973年5月14日
申請人 前野睦雄
右代理人弁護士 堂園茂徳
被申請人 学校法人坂元学園
右代表者理事長 坂元恵義
右代理人弁護士 俵正市
右同 重宗次郎
右同 弥吉弥
右同 苅野年彦
右同 草野功一
右同 佐野喜洋
右同 酒井信次
主文
申請人が被申請人に対し雇傭契約上の地位を有することを仮に定める。
被申請人は申請人に対し昭和四七年九月一日以降本案裁判確定に至るまで毎月末日限り一箇月金五万一五〇〇円の割合による金員の支払をせよ。
申請人のその余の申請を棄却する。
訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、当事者間に争いのない事実
被申請人が九州学院大学等学校、幼稚園を経営する学校法人であり、申請人が昭和四六年一〇月四日に被申請人に雇傭され、九州学院大学工学部講師に就任し、遅くとも昭和四七年四月以降右大学工学部において応用物理の講義を担当していたこと、被申請人が昭和四七年八月二四日に申請人に到達した内容証明郵便で本件解雇をしたこと、その際示された解雇理由の大要は、申請人が、(イ)本件履歴書の学歴欄に東海大学大学院在学中の休学の事実を記載せず、(ロ)職歴欄に昭和四三年四月から昭和四四年三月まで東海大学工学部非常勤講師として勤務した旨虚偽の記載をし、(ハ)採用された後研究論文を提出しない、というものであること、被申請人に雇傭されている教職員によって労働組合である坂元学園教職員組合が結成されていること、被申請人は遅くとも昭和四七年七月一〇日には右組合結成の事実を知ったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二、被申請人主張の解雇事由について
(一) 申請人の経歴
≪疎明省略≫を合わせ考えると、次の事実が一応認められる。
申請人は昭和三九年四月に東海大学工学部電気工学科に入学して昭和四三年三月にこれを卒業し、同年四月東海大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程に入学して翌四四年九月二九日まで在籍した。右大学院在籍期間のうち昭和四三年一〇月一日から昭和四四年三月三一日までは病気のため休学した。申請人は右大学院在学中の昭和四三年四月、東海大学から教育補助学生に採用され少くとも同年九月までの間、同大学工学部電気工学科において学生が行う電気工学実験等に関し、大学教員の補助者として休暇期間を除いて毎週一回学生を指導し、かつその成績評価も行う仕事に従事して、同大学から月額八、〇〇〇円の報酬を非常勤講師料の名義で支給されていた。昭和四四年一〇月前記大学院を家事都合により退学し、その後、家事手伝い、友人が営む学習塾教師などをしていたが、昭和四六年四月一日から同年九月一一日まで、学校法人久保学園が設置している都城高等学校に教諭として勤務した。
右のように認められる。≪疎明省略≫には、昭和四四年三月まで東海大学工学部電気工学科非常勤講師(実際は右認定のように教育補助学生であるが)であった旨の記載があり、≪疎明省略≫によると、昭和四三年一二月二七日に東海大学から申請人に対する教育補助学生としての報酬が預金口座振込の方法で支払われたことが認められ、申請人本人の供述のうちには、昭和四三年一二月当時、教育補助学生としての職務を行っていた旨の供述があるが、≪疎明省略≫によると、申請人は昭和四三年一〇月からは肝臓病治療のため関東中央病院へ入院していたことが認められること、申請人の教育補助学生として勤務した終期についての記憶は極めてあいまいとしていることなどに照らすと、昭和四三年一〇月以降において申請人が教育補助学生として勤務したということについては、疎明があるというに足りない。他に、前記認定を妨げるに足りる疎明資料はない。
(二) 本件履歴書の記載および申請人が被申請人に雇傭された経緯
≪疎明省略≫によると、申請人は本件履歴書の、(イ)学歴欄に「昭和四三年四月東海大学大学院工学研究科電気工学入学、昭和四四年一〇月家事都合により同大学院中退」と記載したが、前示大学院休学の事実は記載しなかったこと、(ロ)職歴欄に「昭和四三年四月―昭和四四年三月東海大学工学部電気科非常勤講師として勤務」と記載したことが認められる。
≪疎明省略≫を総合すると、被申請人が申請人を採用するに至った端緒は、申請人がみずから昭和四六年九月中旬に被申請人に対して、教職員として採用してほしいとの申入れをしたことがあったこと、被申請人代表者は、申請人が提出した本件履歴書、得意学科、志望動機等を記載した身上書、東海大学発行の申請人の同大学工学部電気工学科における成績証明書を資料にして、二回にわたって申請人と面接して審査し、申請人の東海大学工学部における学業成績が優れており、また私学教育について熱意があるものと認め、被申請人の教育職員として採用し、九州学院大学講師とすることを決定したこと、右面接時に、申請人は前示大学院休学の事実は述べなかったが、東海大学に非常勤講師として在職したとの記載に関しては、大学院在学期間と重複していることから被申請人代表者から質問を受け、当時大学院在学中であったが、工学部電気科四年生の実験の一テーマの指導を担当し、東海大学から非常勤講師料として月額八、〇〇〇円の報酬を受けていた旨説明したこと、被申請人が申請人を採用するについて、電気工学は専攻外である被申請人代表者が面接審査したのみで、九州学院大学工学部教授等が申請人の専攻分野についての学識の審査をしたことも、東海大学に対して、申請人の大学院在学中の学業成績等についての照会をしたこともなく、また、右面接以外には申請人の経歴等の調査もしなかったこと、以上の事実が一応認められる。
(三) 本件解雇にあたり被申請人が示した解雇理由について
(イ) 学校在学中に休学期間があるということは、通常その理由が健康、性行等の評価上重要な意味をもつことがあるにしても、直接学業成績を左右するものではないし、休学期間中といえども、当該学校の学生の身分を失うわけではなく、履歴書の在学期間の表示が、当然にその期間中学術の研究に専念したことを意味するものでもないから、申請人が前記の大学院休学の事実を本件履歴書に記載しなかったことをもって、申請人が学歴を詐称したということはできない。
(ロ) 前記認定事実によると、申請人が東海大学から非常勤講師料名義の報酬を受けて従事した職が学校教育法第五八条にいう大学の講師ではなかったというべきであるが、被申請人代表者は採用のための面接の際の申請人の説明によって、申請人が東海大学において従事した職務の内容を知ったものということができ、かつ本件履歴書の右の点の職名、勤務期間の記載はいずれも正確ではないけれども、全くの虚構とはいえず、これをもって法律上解雇理由となり得る程の職歴詐称とはいえないものというべきである。
(ハ) 申請人が被申請人に採用されてから本件解雇時までに、被申請人に研究論文を提出していないことは、申請人が明らかに争わないから、これを自白したものとみなされる。しかしながら、申請人が採用されてから本件解雇までは、一一箇月足らずに過ぎないこと、九州学院大学の教職員に採用された者がすべて、採用後一年足らずの間に研究論文を提出しているということをうかがうに足りる疎明資料はないこと、および大学教員の専攻学術に関する研究論文という名に値するものの作成にはその内容となる研究の期間を含めて、相当の長期間を要すると考えられることからすれば、申請人が本件解雇時までに研究論文を提出しなかったということのみで、申請人が大学講師としての適格性を欠いているものと断定することは早計に過ぎるものといわざるを得ない。
(四) 被申請人が追加主張する解雇理由について
≪疎明省略≫を総合すると、申請人は前記のとおり昭和四六年四月一日から同年九月一一日まで、学校法人久保学園が設置している都城高等学校に教諭として勤務したもので、申請人の学校法人久保学園退職の理由は依願退職であるが、右学園代表者兼都城高等学校長と申請人との間に意見の相違があり、右学園代表者は申請人を学園にとって好ましくない者と評価し、これが原因となって申請人は右学園を退職したものであったこと、申請人は、本件履歴書の職歴欄には、昭和四六年三月以降友人の塾を手伝いながら現在に至る、と記載し、都城高等学校に勤務したことを記載せず、また、前記の被申請人代表者との面接においてもこのことについては何も述べなかったこと、申請人が本件履歴書に右の職歴を記載しなかったのは、中学校で、履歴書には六箇月未満の職歴は記載する必要がないと教えられたと記憶していたことと、右の職歴を明らかにした場合には、被申請人から学校法人久保学園に申請人についての照会がなされ、これによって、被申請人に採用されないことになる虞があったことに因るものであったことが一応認められ、右認定を覆すに足りる疎明資料はない。
前記(一)認定の申請人の経歴からすると、申請人の都城高等学校教諭としての勤務は、その期間は五箇月余の短期間のものであったが、被申請人に採用前の申請人にとっては、唯一の本業ともいうべき重要な職歴であり、かつ被申請人に採用希望を申込む直前の職歴であるから、仮に、長年月の間に多数の職歴がある場合に、六箇月未満の比較的短期間の職歴は、履歴書には記載しないということが通常行われているとしても、申請人が被申請人に提出する履歴書に右のような記載方法が妥当しないことは、申請人にも容易に知り得たはずであり、右(四)認定事実によると、申請人が本件履歴書に都城高等学校教諭の職歴を記載しなかったのは、これが被申請人に知れることによって、被申請人に採用されない結果を生じることを免れようとする点にあったと推認するのが相当である。他方、被申請人にとって、申請人が採用申込の直前に都城高等学校教諭を退職したものであり、かつ極く短期間の勤務で退職したという事実は、右の事実自体が申請人の採否を決するうえで、軽視できない事実であるのみでなく、雇傭契約を結ぶか否かは解雇とは違って、雇傭されることを希望する者が雇傭の目的とされている職務に適する能力を有していても、雇主となる者の自由であり、雇傭契約を結ばないことについて法律上の制約を受けることはないのであるから、申請人の右職歴は、被申請人が申請人の採否を決するについての重要な端緒となる事実であったということができる。
しかしながら、一旦雇傭した被傭者の経歴詐称を理由として解雇することができるのは、経歴詐称が雇傭契約締結上の誠実義務に違反するというのみでは足りず、その詐称が使用者をして、被傭者の目的とされた職務に必要かつ適切な能力の有無についての判断を誤らせ、この誤認が使用者に損害(単に財産上の損害に限らず、企業秩序の維持、企業の名誉等非財産的損害を含む)を与え、または与える虞がある場合であることを要するものと解するのが相当である。≪疎明省略≫によると、被申請人の就業規則第五一条第一一号に、懲戒処分の事由の一つとして、「履歴を偽り不正な方法を用いて採用されたとき。」と定められていることが認められるが、右規定も、右のような制限を受ける限度において、懲戒解雇の根拠規定となり得るものというべきである。ところで、学校法人久保学園代表者兼都城高等学校長が申請人を右学園にとって好ましくない者と評価したことが、申請人の右学園退職の理由となったことは前記のとおりであるが、右のような評価が妥当なものであるか否かを判断すべき、右評価の根拠となった具体的事実がどのようなものであったかを窺うに足りる疎明資料は何もないし、また、申請人が前記の職歴を秘したことが、被申請人の、申請人の大学講師としての能力の有無、適否の判断にどのような誤認を生じさせ、また被申請人にどのような損害を与え、あるいは与える虞があるかを窺うに足りる疎明資料もない。
してみると、申請人の前記の職歴の知、不知が、被申請人にとって主観的には、申請人の採否を決定するについて極めて重要な事項であったにしても、申請人の前記職歴の詐称自体はそれのみでは、解雇の理由とはなり得ないものというべきである。
(五) 右(三)、(四)のとおり、被申請人が申請人の解雇理由として主張する事実は、各独立には解雇理由となり得ないものであり、また、被申請人の主張する解雇理由を総合して考えても、申請人が被申請人における大学講師としての適格性に欠けているものということはできない。すなわち、まず申請人の専門の学識、教師としての能力について考えてみるに、申請人は前記(一)認定のとおり、被申請人に採用される以前においては、大学卒業に引続いて、大学院修士課程に一年半在籍したのみで、しかもそのうち半年間は休学していたものであり、その後被申請人に採用されるまでの約二年間のうち、都城高等学校に勤務した約五箇月余を除いては、その専攻の学識を深めるような研究的生活を送ったことを窺うに足りる疎明資料はなく、このような申請人の外形上の経歴と、通常他人に教授し得る学問上の知識の程度は、自己の有する学問上の知識の程度に比して相当低いものとならざるを得ない。換言すれば、自己の有する学問上の知識と同程度、あるいはこれに近い程度の学問上の知識を他人に教授するということは困難であると考えられることからすれば、申請人が被申請人に採用された当時、申請人が一般的に考えられる大学講師たるに適した学識、能力を有していたか否かについては、疑う余地なしとは言い切れない(但し、大学講師たるに適した学識、能力を有するか否かは、本来、その専攻分野の研究者によって判断されるべきもので、特に不適格なことが明白な場合を除いては、裁判所が判断し得ることではないから、右の疑念は、いわゆる常識的なものに過ぎないものである)が、右の点は被申請人が前記(二)認定のような簡単安易な審査のみで申請人に被申請人の大学における講師たるに適する学識、能力ありと判断して、採用したものである以上、被申請人がみずからの右判断の軽卒さを度外視し、本件履歴書の記載と実際との外形的経歴についての些細な相違を理由として、申請人の学識、能力が被申請人の大学における講師としての適格性に欠けると主張することは、信義則上許されないものというべきである。次に、申請人が前記認定のような実際の学歴、職歴と相違する学歴、職歴を記載した本件履歴書を被申請人に提出したということ、≪疎明省略≫によると、申請人が学校法人久保学園に提出した履歴書に記載されている申請人の東海大学大学院中退時期が、実際と異り昭和四五年七月と記載されていることが認められること、および申請人本人の供述によると、右のような履歴書の学歴、職歴の記載と実際との相違の一部は、故意によるものと認められることからすれば、申請人が人格上批判されるべき点がないとはいえない。そして、学校教育法第五二条は大学の目的の一つとして、道徳的能力を展開させることをも掲げており、大学の教師が、人格上も学生に尊敬される者であることが理想であることはいうまでもないが、大学はその学生に対する関係においては、何といっても専門の学術上の知識、能力を教授することに主眼があるのであり、教師が専攻の学識以外の人格上においても学生から尊敬されるに値いする者でなければ大学教師としての適格性を欠くものとはいえず、人格上は社会における一般人として著しい欠陥がなければ足りるものというべきであり、申請人が前記のような行為によって人格上批判されるべき点があるにしても、これをもって社会における一般人としても著しい欠陥があるとまではいえないから、申請人がその人格上大学講師たる適格性を欠いているとはいえない。
三、右のとおりで、本件解雇に正当な理由があるという被申請人の主張は採用できないといわなければならないから、本件解雇が労働組合法第七条に定めるいわゆる不当労働行為に当るか否かについて判断するまでもなく、本件解雇は無効なものといわなければならない。
四、仮処分の必要性
≪疎明省略≫によると、申請人は被申請人から受ける給与を唯一の生活の資としていたもので、本件解雇後はその生活を維持する必要から、鹿児島市内で物品販売の職に従事していることが窺われるが、右職業による申請人の収入が恒常的で安定したものであり、申請人の生活を維持するに不安のないものであることを認めるに足りる疎明資料はないから、本案訴訟によって本件解雇の効力が確定するまでの間、申請人の地位を仮に定める必要性があり、かつ申請人が本件解雇前に被申請人から月額五万一五〇〇円の給与を受けていたことは当事者間に争いがないから、昭和四七年九月一日から本案裁判確定に至るまで、毎月末日限り月額五万一五〇〇円の賃金の仮払いを受ける必要性があるものということができる。しかしながら申請人の就労請求は、一般に労働者に就労請求権があるとはいえず、申請人について就労請求権を認めるべき特段の事情があることを認めるに足りる疎明資料はないから、これを許容することができない。
結論
以上のとおりであるから、申請人の本件申請は主文第一、二項掲記の限度で理由があるので、申請人に保証を立てさせないでこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺井忠 裁判官井土正明、裁判官楠井勝也はいずれも転補のため、署名押印することができない。裁判長裁判官 寺井忠)